自動車メーカーとしてのMG
1936 MG T-type
MG(エム・ジー)は、イギリスのスポーツカーのブランドで、その由来は「モーリス・ガレージ」(Morris Garages )を略したものであるとされています。創業時がトライアルレース向け車両の制作に始まったこともあり、サーキット/ラリー両方でのレース活動で歴史にその名を残しますが、親会社の統合、合併が繰り返され、自動車メーカーとしては不安定な時期が大半をしめていました。
世界へMGの名を広めたMGA
MG・MGA
そのMGの名を一気に世界中に広めたのが1955年に発表された「MGA」です。戦後荒廃した英国や欧州に変わって、被害を受けなかった北米向けの輸出で大成功し、累計10万台を超える「MGA」の大半が米国へ、その他も世界各国へ輸出、もしくは現地生産されました。
流麗なデザインのオープンモデルとクーペボディをラダーフレームの上に架装した「MGA」により、世界中で一大英国スポーツカーブームが巻き起こりました。
最大の功績MGB
1962年の発表から1980年の製造終了迄に、「MGA」を超える52万台以上も製造・販売され、MGのみならず、2ドアオープンカーの代名詞となったのが「MGA」の後継モデル「MGB」です。
MGAから引き継がれたイメージのボディには、基本構造にソフトトップを備えたオープン型のモノコックボディに、1.8Lの直列4気筒エンジンを搭載し、4速マニュアルトランスミッションで後輪を駆動になっています。
ボディ全体が独自設計のスチール製モノコックに改められ、また多くの部分で改良が進み、近代的で高性能な車として開発されました。1962年の軽量な車体がもたらす軽快なハンドリング特性や、比較的高い信頼性、単純な機構による維持のし易さ等から大ヒット車となり、1980年までの19年間に渡って製造・販売されることとなったのです。
さらに、ピニンファリーナのデザインによる2ドア・ハッチバック・クーペ型のボディも設定され、「GT」という名称が与えられた。また、搭載エンジンは直列4気筒だけでなく、「MGC」という別の車種名が与えられた直列6気筒も設定され、 また、V型8気筒が搭載された「MGB GT V8」も加わりました。
RV8からMGFそしてMGTFへ
MG・RV8
MG・MGF
1993年に発売されたMG・RV8は、MGBをほぼそのまま踏襲した設計でしたが、設計の古さなどから2,000台限定生産でした。そして1995年に"MG"ブランド復活のためにローバーよって開発された。ミッドシップレイアウトの2座席オープンカーが「MGF」として開発されました。MGFは、小ぶりなボディに、ローバー製1.8Lの直列4気筒DOHCエンジンを搭載、窒素ガスと防腐凍結防止剤入を入れた水を使うハイドラガス・サスペンションを搭載していました。
1.8Lエンジンを積むライトウエイトなミッドシップ・スポーツカーという点で、当時のトヨタMR-Sやマツダロードスターと比較されることも多く、日本カー・オブ・ザ・イヤーのインポート・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞していますが、日本への輸入台数は少なく、MGファンの間でも人気はあまりないようでした。本国イギリスでも自動車メーカーの再編劇に巻き込まれた結果2002年に製造が終了してしまいました。
その後MGがMGローバーで「MG TF」にモデルチェンジされますが、経営破綻により2005年に製造中止となり、南京汽車傘下のNac MGにおいて、製造が再開されますが、需要の低迷などから生産総数906台で製造中止されました。
まとめ
MG史上最も成功したMGBは現在でも、比較的手が出しやすい価格帯にある事や、パーツが豊富で入手し易い事などからヒストリックカーレースなどでのモータースポーツ活動が行われています。
このMGBの生産終了から30年が経過した現在、MGBはビンテージカーの域に入っていますが、単純な構造であった事や、多くの台数が存在したことから、現在でも、2ドア・オープン・スポーツカーの代表車種としての入門車種として知られ、整備のノウハウも専門店や愛好家の中で広まり、クラシックカーの中で維持することが比較的楽な車であることも人気の理由となっています。
MGBを上回る人気を得るには、手ごろな価格という大前提が必要なことから、ニューモデルの「E-Motion」にその重責を負わせるのは荷が重そうです。しかし、MGという大看板が再び表舞台に登場し、英国製(中国資本であっても)スポーツカーの神髄を垣間見られるのなら、興味が尽きないというファンも多いのではないでしょうか。