ジェームズ・ボンドも愛するアストンマーチンの魅力と歴史
映画『 007 』シリーズのボンドカーで有名なアストンマーチン。イギリスの高級スポーツカーのメーカーですが、フェラーリやランボルギーニと比べると日本人にはなじみが薄いかと思います。
そこで今回は、アストンマーチンの伝統ある歴史とその変遷について紹介します。イギリス老舗メーカーの息吹を感じてみませんか。
■アストンマーティン・ラゴンダとは
日本では「 アストンマーチン 」と呼ばれていますが、そもそもの正式名称は「 アストンマーティン・ラゴンダ ( Aston・Martin・Lagonda ) 」です。
これはアストンマーチンが製造した高級大型セダン車種の正式名称です。
ちなみに、ボンドカーとして アストンマーチンの「DB5」が登場して以降、同社の車が『007』シリーズで輝きを放っています。
アストンマーチンの魅力
では、映画にも使用されるほどのアストンマーチン製造の車の魅力をみていきましょう。
■優雅なスポーツカー
アストンマーチンの魅力といえば、スポーツカーなのに優雅で落ち着いたデザインでしょう。
ひと目でそれと分かる、美しい流線型の外観は多くの車好きやセレブを魅了してやみません。
いかにもスポーツカー然とした見せるためのデザインではなく、落ち着きと優雅さを兼ね備えた英国紳士を思わせる雰囲気を漂わせています。
この美しい外観が職人の手によって造られているのも、人を引きつける一つの要因なのでしょうか。
■ル・マンに出場する高い品質
アストンマーチンはル・マンをはじめ、ニュルブルクリンク24時間耐久レースなど数多くの耐久レースに出場しています。
速さだけが要求されるレースとは違い、いかに長時間故障することなく走行し続けられるかが必要なのが耐久レースです。
それに出場することで高い品質が培われ、市販車の製造に生かされています。
創業が100年を過ぎても、それまでに製造した車がいまだに走っているという事実が品質の高さを物語っています。
■どれもがハイスペック
優雅で落ち着いているだけがアストンマーチンではありません。どれもがハイスペックな車になっています。
1963年から2年間製造され、ボンドカーとして登場したDB5は、直列6気筒エンジンによって282馬力を叩き出し、最高時速は228キロにも達しました。
このようにアストンマーチンはフェラーリなどにも劣らないハイスペックな車を造り続けています。
それでいて優雅で高品質でもあるわけです。
それでは、高品質でハイスペック、それでいて優雅で落ち着いた車を造ってきたアストンマーチンのはじまりと歩みをみていきましょう。
アストンマーチンの歴史
アストンマーチンはロバート・バムフォードとライオネル・マーティンによりスポーツカーの製造メーカーとして「バムフォードアンドマーティン」という社名で1913年に設立されました。
その後1915年に第1号車として製造された自動車で出場したレースでマーティンが優勝したことがきっかけで「アストンマーチン」のブランド名が誕生したと言われています。
その後1920年に「スポーツ」という名の車が誕生し、数々のレースに参加するようになり、1923年には市販向けにも販売されることになりました。
■アストン・マーチンヒストリー~20年代から第二次大戦後~
1924年、会社へ資金の提供などをしていたズボロフスキー伯爵が亡くなったのをきっかけに会社の経営状況が悪化し一度倒産。翌1925年に再度倒産したのをきっかけにライオネル・マーティンが会社を去ることになります。
その後辛うじて会社を存続しますが、多額の投資や経営効率の悪い生産方式が災いし1932年に再び経営危機に陥ることになります。
しかし1916年以降から1937年までは「インターナショナル」、「アルスター」、「MKⅡ」など数々の車種が誕生し、フランスで行われた耐久レースでも上位に入賞するようになって「アストンマーチン」の名が広く知られることになります。
また、第二次世界大戦前の1936年以降は収益性の薄いレーシングカーの開発とモータースポーツへの参戦をあきらめ市販向けの自動車の製造に力を入れることになります。
市販自動車の販売に本腰を入れ始めるとともに経営状況も回復し軌道に乗りかけますが1939年にイギリスがドイツに対して宣戦布告を行い第二次世界大戦に巻き込まれることになります。戦時中は高級スポーツカー、市販自動車の需要は低下しましたが、「アストンマーチン」社は軍用機の部品製造にシフトし何とか会社の存続を保つことになります。
第二次世界大戦後は工業機械の製造グループ「デイビッド・ブラウン・リミテッド」の傘下に入り戦後初の自動車モデル「DB1」が発売されることになりました。また、それ以降のモデル名にも「デイビッド・ブラウン」の頭文字をとった「DB」がシリーズ化し、アストンマーチンのDBシリーズとして一般的にも広く知られることになりました。
さらにデイビッド・ブラウン傘下に入ったことによって資金調達がスムーズになりモータースポーツへの復帰、また耐久レースでは総合優勝を果たすなど輝かしい成果を収めることになります。
■アストン・マーチンヒストリー~50年代から現代~
1950年代からは市販への自動車の製造に再びシフトし、「DB4」、「DB4 ザガート」などのちに名車と呼ばれる高性能の自動車の販売が始まります。
さらに1960年代に入ると、「DB5」、「DB6」などの新型を発売し、自動車販売をアメリカへ進出するなど会社としても絶頂期を迎えることになります。
しかし1970年代に入りデイビッド・ブラウングループの経営状況が悪化、黄金期を築いたデイビッド・ブラウンはアストンマーチンの経営権を手放すことになります。
その後1972年に「カンパニー・ディベロップメント」に経営権が移り、看板モデルの「DBシリーズ」は「V8」と名前が変わることになります。
また順調かと思われた経営状況も70年代後半に再び悪化、「V8ヴァンテージ」などの「V8」の新型モデルを発表し経営不振からの脱却を試みますが1979年に発表された「ブルドッグ」の発売まで停滞期が続くことになります。
80年代に入り、映画007シリーズの新作で「V8ヴァンテージ」が「ボンドカー」として登場し話題となったり伝統モデルの復活させるなどの施策で経営が安定に向かうことになります。
それから80年台後半になるとフォードモーターによる「アストンマーチン」の買収が決まり、内装や電気系統などにフォードのものが使われ車の品質の向上に繋がっていきました。
90年代に入ると、「DB7」「ヴァンキッシュ」といった新型車が登場し販売台数も増加、経営状態も安定し始めます。
2000年~は再度売却、買収が行われますが、富裕層を意識した取り組みやモータースポーツ分野でも活躍するなど独自の路線で進歩していっていると言えます。
アストンマーチンの主な車種
■ヴァンテージ
571馬力、また最大排気量のエンジンを搭載し、最高速度328km/hを出すことができます。
■ヴァンキッシュS
軽量化、高い剛性を得るためカーボンファイバーで構成されたモデルです。
アストンマーチンのフラッグシップモデルで588馬力発揮します。
■DB9
2003年から2016年まで発売されていたモデルでV12 6.0Lエンジンを搭載。オープンボディのヴォランテというモデルも販売されました。
■DB11
DB9の後継モデルとして発売されているオープンカーで600馬力を超え、ツインターボを搭載したモデルになっています。
■ラピードS
前後の重量バランスがオープンカーの理想と言われている49対51となっている唯一の4ドアモデルです。また内装が独立シートのため乗車人数は4名限定となっています。
さいごに
いかがでしたか?アストンマーチンの魅力、今まで歩んできた歴史などについて紹介しました。
冒頭でもお伝えしましたがアストンマーチンの車は「007」のボンドカーとしても有名でイギリス製の自動車を語る上で無くてはならない存在となっています。
『007』シリーズを見るときには、ぜひともボンドカーにも改めて注目してみてくださいね!