マツダ「787B」というクルマ
1991年にル・マン24時間レースで総合優勝したクルマ「マツダ787B」は、市販車をベースとしないプロトタイプのレーシングカーであり、2018年のル・マンでトヨタが優勝するまで、日本車で唯一、伝統の耐久レースを制した「伝説のクルマ」です。
当時「マツダ787B」に注目している者(優勝すると考えている者)は皆無といっていい状況でした。なぜなら、前年のレースでは惨敗という成績で、それまでも優勝を争うような力を見せたことがなかったのです。
そのため、日本の中継でも、メルセデス・ベンツ 対 ジャガーの構図を強調しており、マツダ「787B」はおまけ程度の扱いをされていました。
このマツダ「787B」の基本型は、「787」というマシンではありますが、セッティングの違いがあります。例えば
「最高速重視の787」
「コーナリング重視の787B」
という具合に、コンセプトに違いがあるのです。
マツダ787Bのエンジン形式名は「R26B」で、レーシング用の「R」、総排気量の「26」、基本となる13Bエンジン(ローター&ハウジングの寸法)から「B」となっています。
■マツダ「787B」の主要諸元
・全長:4,782㎜
・全幅:1,994㎜
・全高:1,003㎜
・787のトレッド:1,530/1,450㎜、ホイールベース:2,640㎜
・787Bのトレッド:1,534㎜/1,504㎜、ホイールベース:2,662㎜(787B)
・シャッシー:ケブラーカーボンファイバーコンポジット・モノコック
・前サスペンション:ダブルウィッシュボーン・プルロッド式インボード、ビルシュタイン製スプリングダンパー
・サスペンション(後):ダブルウィッシュボーン・トップロッカー式インボード、スプリングダンパー
・エンジン:マツダR26B(2,616㏄)・自然吸気・縦置き4ローター・ミッドシップ
・トランスミッション:5速マニュアル (ポルシェ 962c流用・装着変更)
・重量:830kg(1831lb)
・燃料:出光
・タイヤ:ダンロップ、300-640×18/355-710×18(275-620×17/330-700×17)
マツダ「787B」のエンジンとは?
自動車の創成期からエンジンの主流となっていたレシプロエンジン以外で、ル・マンを制した唯一無二のエンジンが搭載されたマツダ767B。その心臓こそR26Bロータリーエンジンです。
マツダ787Bに搭載している4ローター仕様のR26Bエンジンは、電子制御の強化と燃費向上を可能にし、当時では珍しかったテレメトリーシステムやカーボンブレーキの装備を搭載。
ホイールのインチアップやトレッド拡張からコックピットの快適性を追求し、ドライバビリティの向上に至るまでの改善を加えており、この時点ですでに優勝を意識した本気のスタートを切っていたと言えます。
しかし、孤独な夢のある挑戦をマツダはしていました。
ロータリーエンジン搭載のマシンで参戦しているのは、日本にある自動車会社のマツダだけ。ル・マンからは遥かに離れてました。
さらに、レシプロエンジンが長年に蓄積してきたノウハウがあるのに対して、乗用車用ロータリーエンジンを開発しているのはマツダだけだったのです。
レシプロエンジンとは違い、ロータリーエンジンをレーシングカーに搭載するには異なる問題が発生。最もクリティカルな問題は、出力を上げるにも簡単にはいかないことでした。
レシプロエンジンであれば、ボアとストロークを自由に変えられますが、バリエーションを多くもたないマツダは654㏄のローターを増やすことで対応することとなるのです。
それでもなおル・マンに参戦当初、レシプロエンジンとの差は100馬力以上も差がありました。
にもかかわらず、マツダはロータリーエンジンで挑戦することを決意したのです。
マツダ 787B搭載ロータリーエンジン
ロータリーエンジンは発熱量が大きいことも設計を困難にしていました。
冷却性能を確保するべく、オイルクーラーやラジエーターを大型にすることになるのですが、そのしわ寄せとして補機類のスペースを確保することに苦労が多く、さらに熱がエンジンまわりにこもりやすく、不具合を起こすことも少なくなかったのです。
また、エンジンをシャシーの強度を担う構造部材として使用することができないことも不利といえます。つまり、シャシーの一部にエンジンを代用することで軽量化をすることが難しいということです。
ローターハウジングとサイドハウジングを重ねた構造がロータリーエンジンで、ねじり剛性が弱いという特徴があり、無理に力をかけるとオイル漏れをするトラブルを起こす原因となります。
確かに不利なことも多くあるのですが、ロータリーエンジンが有利といえることもあります。
例えば、エンジンがコンパクトで部品点数が少なく軽量という点です。
さらに、往復運動が少なくすみ、全てが回転運動であるので、高回転化がしやすく何よりも耐久性に優れているという点が上げられます。
例えば、世界初の量産ロータリーエンジン「コスモスポーツ」は、1967年に発売されましたが、翌年に行われた84時間耐久レース(ニュルブルクリンクで行われた)で、初出場でありながら好成績の4位を得ているのです。
このことでロータリーエンジンの耐久性が好評になり、マツダのエンジンをアメリカやヨーロッパのプライベーターが購入しマシンを仕立てることが流行したということもありました。
ロータリーエンジンはプライベーターにとって、1年間使用しても壊れることなくパワフルで魅力的な「夢」のあるエンジンだったのです。
1991年、マツダ 787B 最後のレース
マツダは特別処置にてロータリーエンジンでの参戦を認められましたが、マツダの参戦もこれが最後(ラストチャンス)と言われていました。
というのも、日本メーカーへの嫌がらせとも思える数々のレギュレーション変更が行われたため、ロータリーエンジンの使用が禁止となる事態となったのです。
このレギュレーション改定に至った背景には、当時耐久レースの実績を積んできた日本メーカー、とくにマツダに対して優勝の可能性があると、ヨーロッパ圏では驚異があったためと一部では囁かれています。(これまでの最高位7位)
マツダは、1970年から他のチームにロータリーエンジンを提供し、さらにその後市販車の改造マシンで参戦。実績を少しずつですが、積み重ねていました。(マツダは、757、767、787と参戦し続け総合優勝を狙っていた。)
■激闘を攻め続けた「マツダ 787B」
上記のような背景がある中で、1991年マツダ787Bのル・マン24時間レースがスタート。
レース開始早々、本命のメルセデス勢は必勝の逃げ切り作戦を行い、続くジャガーは粘るように追走。その後方に「マツダ787B」がレース開始1時間後に11位でしたが、着々とトップとの差を詰めました。
レース開始10時間後
もうレースは終わった(メルセデス・ベンツ3台の完全優勝)という空気の中、その内の1台が事故でピットインし、10周後ろに後退。そんな中、マツダ787Bはじわじわと上位に迫っていました。
レース開始12時間後
高いスピードの維持・車体の軽さ、燃費バランスの良さがある「マツダ787B」は、レース開始12時間後にジャガー2台を抜き去り3位に浮上。この浮上を見て、トップを走るメルセデスチームに動揺が走り、戦略の見直しを迫られることとなります。
メルセデスチームはここでリードを広げようとペースを上げていくのですが、それが裏目に出ます。
2位を走っていたマシンに駆動系のトラブルが発生し、時間をピットで費やすことになったのです。
レース開始13時間後には、マツダ787Bが2位に浮上することに成功。さらにペースを緩めずメルセデスチームにプレッシャーをかけ続けました。
過酷な24時間レースの中で信じていたものとは?
実は、13時間後に2位に浮上したこの時、ペースを緩めない(無謀ともいえる)787Bのハイペースに、チーム内でも「表彰台を流しかねない走り方だ」と抗議が飛び交っていました。
そのような中、エンジン担当者は強気の一言を放ちます。
「我々のエンジンは壊れることはない」
ここでチームの決意が一つとなったといって良いでしょう。つまり、手を緩めることなく(ペースを緩めることなく)怒涛の追撃する強硬手段に出たのです。こうなれば、メルセデスは煽られる形で必死に逃げていく展開に。
レース開始21時間後
そして21時間後、トップのメルセデスがピットエリアで異変が起きます。マシンがリアから煙を出しており、ピットアウトができずにいたのです。そんな中マツダ787Bは攻め続ける走りでコントロールラインを通過し遂にトップを奪います。
その後もマツダ 787Bはトラブルを起こすことなく、3台が走りきる結果に。
日本のロータリーエンジンを搭載したマシン(日本のレーシングカー)が、ル・マン総合優勝という栄冠をはじめて掴んだ瞬間です。
自動車会社の多くがロータリーエンジンを諦めていく中、マツダだけは執念とエンジンへの信頼(チームと自分たちの技術力を信じた戦略)を持ち続け、ル・マンの新しい歴史を創ったのです。
伝説のレーシングカー マツダ 787Bの今
1991年、ル・マン24時間耐久レースで総合優勝をしたマツダ787B。
この偉業を成し遂げたマシン「マツダ 787B」は、近年各地のイベントで走行するシーンが多くあります。伝説のマシンを一目みようとマツダファンならず、クルマ好き各イベントに駆け付けることは珍しくありません。
誕生してから27年経っているにもかかわらず、維持管理をしっかりとできている点は素晴らしいの一言です。
2016年には「マツダ787B」の25年ぶりの展示が富士スピードウェイ「Be a driver. Experience at FUJI SPEEDWAY」で開催された事も記憶に新しいのではないでしょうか。
マツダのワークスカラーのホワイト/ブルーを身にまとった18号車が25年ぶりに公開され、55号車と並んでディスプレイされました。
今もなお多くの人々を惹きつける伝説のレーシングカー「マツダ 787B」ですが、先ほども言ったように、動体を保存していくための維持管理をしっかりと行わなくてはいけないのも事実。
そこには、当時と変わらないベテランエンジニアの情熱がなくして出来ることではありません。
皆さんもイベントなどで「伝説のマツダ 787B」の勇姿をご覧になる機会があるのであれば、惜しみない拍手と声援を送って欲しいと思います。
受け継がれていくロータリーエンジンの夢
2017年、ロータリーエンジンが誕生して50周年を迎えました。
そこでマツダは、「飽くなき挑戦の歴史 ― ロータリーエンジン誕生50周年 ―」をテーマに掲げます。
唯一24時間耐久レースで総合優勝したマツダ 787Bや、マツダ初のロータリーエンジン搭載車のコスモスポーツ(世界初の2ローター・ロータリーエンジン搭載車)、初代ロードスターなど、7台をマツダは並べました。
ここでは、ロータリーエンジンの歴史を通して、現在もマツダに受け継がれていくヘリテージとDNA(ロータリーエンジンの夢)について語っていました。
ロータリーエンジン搭載のクルマ「RX-8」が2012年に生産を終了したことで途切れた歴史。
ロータリーエンジンの開発は1960年代から始まり、マツダが自動車メーカーとしての生き残りをかけた揺るぎない挑戦でした。
6年間かけて、マツダはロータリーエンジンの実用化に成功し、未来のエンジン(軽量でコンパクト&ハイパワーというメリットを持つエンジン)と賞賛されたのですが、1973年に起きたオイルショック(燃費消費が悪いというデメリット)により、一転して危機を迎えたのです。
マツダの社運を賭けた2つの戦い「マツダが乗り越えるための3つの要因があった」と、ロータリーエンジンの開発に携わってきた山本修弘は語ります。
「社会貢献をものづくりの技術によってしたい」
ということが一つ目の要因で、創業者から技術者に受け継がれてきた志。
また、広島で起きた戦後の復興を進めた人々のチャレンジ精神、困難に立ち向かう心が技術者に刻まれていたこと。
更に、
「ロータリーエンジン(ロータリー車)のファンを裏切ってはいけない」
というオイルショック後の戦いの裏にあった技術者たちの強い気持ち
「使命感」
です。
■今後のロータリーエンジン
現在マツダは現在もさらなる挑戦を続け、環境に対する負荷の問題を解決するべく「RENESIS水素ロータリーエンジン」というエンジンを開発しようとしています。
基本的な構造は今までのロータリーと同じで、水素ロータリーを実現することが可能とマツダは言います。これにより、排ガス問題をクリアすることができれば、現在のクルマにロータリーを搭載することができるため、有害となる排出ガスを出すことなく、ほとんど水のみという「夢のロータリー」が完成するでしょう。
44回東京モーターショーでは「RX-vision」という夢のロータリーエンジンを搭載したコンセプトカーが公開されました。
今までのRX-7と同じFRレイアウトで作成中のようですが、マツダの新しい次世代ロータリーエンジン「skyactive-R」を搭載。
まるで、スーパーカーのようなロングノーズをしたスポーツクーペボディは車高が低く、高い走行性能を想像することができます。
まだ、コンセプトカーの段階でシンプルなメーター周りでありますが、アナログ感のあるメーターは、クルマ好きの心をくすぐるデザインが奢られています。
今後どのようなクルマに化けていくのか非常に楽しみな一台といえるでしょう。
まとめ
伝説のクルマ「マツダ 787B」。
ロータリーエンジンのロマンの詰まったクルマであり、「走りを愛する人のクルマ」です。
今の流行りで言えばハイブリッド車が人気(燃費が良いクルマが人気)のため、メンテナンスの頻度が多く燃費が悪いロータリーエンジンは、衰退してくことが余儀なくされました。
ですが今後私たちは、マツダの開発する「夢のロータリーエンジン(水素ロータリーエンジン)」で、マツダの技術者たちのロータリーに対する揺るぎない情熱・使命感を目の当たりにすることとなるでしょう。
その時、クルマ業界に新たな革命が起こることを夢見たく思います。
マツダと私達で実現させる、新たな時代のロータリーエンジンの夢を。