三菱デボネアとは
三菱 デボネア
日本が高度経済成長期の中で、なおかつ東京オリンピックが開催された1964年に製造を開始し、その前年の1963年に開催された東京モーターショーで次世代車の一部として参考程度に出展したのがデボネアの始まりです。
当初はコルトを付与する予定でしたが、撤回され、デボネアとして新たなブランドで販売する方針となりました。
外観は当時の日本車にはない先進的なスタイルで、アメリカの車と思わせる独特性の高いスタイルで、デザイナーは元GMのハンス.S.ブレッツナー氏を招聘する形で起用しました。
そのため、フェンダーやリアコンビランプなどといった、各所に斬新なデザインを導入したほか、メーターについてはシンプルでありながら熟練されたアメリカ車の意匠を踏襲し、フロントシートも人間工学的によって独自研究を行い、ベンチシート方式を採用しました。
息の長かった車デボネア
デボネア エグゼクティブSE
1960年代前半の日本における高級車市場は、国内メーカーはユーザーを自社の車に引き付けるかが課題となり、それが激化していく市場となりました。
トヨタのクラウンや日産のセドリックなど魅力的な車が販売していくにつれ、各社しのぎを削る戦いへと投じていったのでした。三菱はデボネアを発売し、会社の重役クラスにとって「愛用車」としての意味を持つ公用車などに活躍の場を与え、あらゆる場面で活用しました。
初代は1986年まで外観を変更せずに製造し続けました。レトロチックな印象を受け、モデルチェンジ後も古色蒼然のデザインは「走るシーラカンス」といったあだ名を与えられるほどでした。
2代目モデルは日本・韓国・アメリカの三国での供給がされる前提で誕生し、韓国に関してはヒュンダイが高級車の製造ノウハウが当時皆無だったため、実績のある三菱から指導を受けました。
新エンジンに関してはアメリカ向けに供給される役割も持ったV6エンジンで、パワフルな走りを実現していました。2代目デボネアは1992年まで販売されました。
先代同様にオーソドックスなデザインの3代目モデルは1992年に発売しました。しかし、発売時期がバブル景気の崩壊後に伴う平成大不況へと突入したため、セールス面ではかなり苦戦を強いられる形となり、購入実態の勘案で1999年には製造を終了して永木の歴史に幕を下ろしました。
■デボネアの動力性能
2L直6OHV KE64型(最高出力105ps・最大トルク16.5kgm)に3速コラム式MTの搭載により、最高速度が155km/hを樹立するなど当時の車としては最高クラスの動力性能を有し、ブレーキ面に関しては4輪デュオサーボ式ドラムブレーキの導入で安定した性能を得ました。
1965年にはボルグワーナー製の3速トルコンATや、ステアリングやウィンドウ、フロントシートなどにパワータイプが導入されました。
1967年にはインパネ部分が衝撃吸収タイプへと改められ安全性向上に努め、1970年にはエンジンが見直されA31型を襲名、1978年には「昭和53年排ガス規制」に準拠したE-A33型を名乗りました。
■デボネアのエクステリア
外観は、当時のアメリカ車を手掛けたデザイナーを外部招聘する形で開発し、ボディはモノコック仕様でフロントがウイッシュボーンというのが特徴でした。22年間変わらぬデザインは骨董的位置づけが高く、「走るシーラカンス」のあだ名を与えられたのは前述したとおりです。
つまり、ボンネットやテールはエッジを立てつつもフロントグリルに関しては大型にして独自のデザインを持たせたため、ビンテージカーマニアを中心に人気を博しています。
2代目に関しては完全なるモデルチェンジで高級車らしい顔つきとなりましたが、初代と比べ直線かつ四角いデザインでした。
3代目に関しては先代のデザインを柔らかくした印象で、部分的ですが曲線が使われているため、初代と比べて全く別形式の車かと錯覚させるような意匠でした。
■デボネアのインテリア
初代に関しては前述のエクステリアもさることながら、インテリアも当時としては画期的かつ現在だと懐かしさを感じさせる秀逸なもので、大きいハンドルに対しメーターはいたってシンプルでした。
また、木目を使っているほか、フロントシートがベンチタイプで人間工学に基づいて開発されたため、定員6名を実現しました。
対照的に2代目は定員を1名減らした5名へと縮小され、ハンドルやメーターなどに関しては一般的な乗用車と何ら変わらず、初代の印象が一気に払しょくされたのも、韓国・ヒュンダイの意向が強く反映され、シートに関しても高級感あふれるソファーとほとんど同じでした。
3代目はハイテク感満載のメーターやステレオなどを搭載し、シートは先代と比べやや控えめな印象でありながらも座り心地を向上した物へと改められました。
AMG仕様のデボネア
三菱 デボネア
AMGは本来、メルセデスベンツのチューニングなどで当時から有名なメーカーでしたが、なんと2代目デボネアには、AMGが監修を行った仕様が設定されるという珍しい関係もありました。AMG仕様のデボネアは300台程度が生産されたとされています。
80年代の日本車は、市場からの性能要求や嗜好性の向上に伴って欧州のハイパフォーマンスブランドとのコラボレーションが流行した時期でもありました。
その流れに乗ったデボネア AMGは、初代よりも洗練されたとはいえ、お堅い高級車だった2代目の保守的なイメージを壊すようなスポーティなスタイルが特徴的でした。
デボネアの中古価格
それでは、本形式における中古価格について紹介していきましょう。価格については車両本体価格で表示しています。
◎初代
一般的な相場は60万円台~応談となっています。
◎二代目
40万円台~70万円台となっています。
◎三代目
他サイトでも中古車情報がありませんでした。
角張った印象ながら秀逸なデザインであった初代、海外とのつながりも強く感じさせた2代目3代目と、国際派な印象も強かったデボネア。日本の車がワールドワイドな展開へと発展していった名車です。
※情報は車情報サイトresponse中古車価格より(2020年11月現在)
リムジンにも使用されたデボネア
デボネア エグゼクティブSE
一般的なリムジンカーと言えば、通常の車をダックスフンドのごとくボディとシャシーを延長し、高級感あふれるソファーと簡易的な供食設備を装備しています。デボネアにもリムジン仕様がありました。
ベースは2代目の前期型で、愛知三菱自動車販売によって企画し、おひざ元の大江工場にて製造された車でした。デザインに関してはヨーロピアンスタイルとアメリカンスタイルが採用されました。
しかし、ふたを開けてみると実際に購入をする方は少なく、受注段階で約10台前後しか注文をもらえなかったのが現実で、ディーラーからすれば結果的には「企画倒れ」で終わってしまった悲しき車両になります。
デボネアの探し方
中古車販売店
程度の良いものを選ぶとした場合まず気を付けておくべき項目が存在します。いくら外観が綺麗な状態であったとしても、それ以外の項目に異常が認めれば程度はよくないと見切りをつけましょう。
デボネアに限らず車は走ってこその車なので、その心臓部となるエンジンと車検や整備、それに保証の有無が大きく影響します。
修復歴に関しては「有」と判断した場合、修理していれば特に問題はありませんが、それができてない場合は状態不良と判定できます。
中古車を購入するならば、外観のほか車検など各部ステータスにおいて、どのような状況で売られているのかを各自で目視確認するのをおススメします。
デボネアの後継車
プラウディア
1999年に製造を終了したデボネアの後継車両として製造を開始したのが、プラウディアでした。シャシーは3代目を踏襲しながらもボディに関しては新規製造で、韓国のヒュンダイと共同開発しました。
しかし2000年、不幸にも三菱自動車がリコール隠しの不祥事を起こし、その影響で愛知の大江工場が廃止されました。初代については、三菱自らが晩節を汚す形で製造を終了しました。
それから11年間の慎重な期間を経て2012年には2代目が誕生しましたが、実態はライバル会社(日産)の車両を三菱がOEM提供を受ける形で販売したため、この形式は「三菱車の皮をかぶった日産車」の印象を与えました。
シリーズとしては4WD車が新規設定され、ガソリン車とハイブリッド車の二種類が発売されており、ハイヤーなどを中心に活躍しています。
まとめ
デボネア エグゼクティブSE
発売開始から20年以上にわたり、同じデザインを一貫して守り続けたデボネアは「走るシーラカンス」と呼ばれました。長年の歴史にわたり日本の車における一つのルネッサンスを形成した功績は大きいと言えるでしょう。