アイルトン・セナとは
モータースポーツがお好きな方であればもちろんご存知な方がほとんどだと思います。
あまり知らない・・・と言う方でも、2017年12月にイギリスの自動車メーカー「マクラーレン・オートモーティブ」から「マクラーレン・セナ」という新型スーパーカーが誕生したことでその名を聞いたことがあるという方もいらっしゃるのではないのでしょうか。
日本では「音速の貴公子」と称され、34歳の若さでこの世を去った、伝説のF1レーサーが「アイルトン・セナ」その人です。音速で駆け抜けた彼の生涯を振り返りましょう。
1960年、ブラジル・サンパウロでアイルトン・セナ・ダ・シルバは生まれました。
4歳の誕生日にレーシングカートをプレゼントされて以来、セナはカーレースに魅了され、人生を捧げる事になります。
13歳の頃には国際的なレースで活躍するようになり、17歳で南アメリカのレースを制し、その翌年にはイタリアのカートメーカー「DAP」と契約しCIK/FIA世界カート選手権では2位を獲得。
日本のカートレースの最高峰「ジャパンカートレース」では4位。同大会にて団体戦では5位を獲得しています。
1981年、21歳の時にイギリスのフォーミュラ・フォード1600で優勝し、一度レースの世界を引退しましたが、レースへの情熱は覚めず982年にフォーミュラ・フォード2000にて再び優勝を飾ります。
F3時代のアイルトン・セナ
その後1983年、アイルトン・セナが23歳の年。
セナは、F3に参戦します。
F3とは、正式には「フォーミュラ3」という自動車レースのカテゴリーの1つです。
自動車レースと言えば、「F1」が馴染みあるレースと思いますが、F3は、そのF1への登竜門とされています。
誰もがF1への挑戦を夢見てしのぎを削る中、セナは開幕から怒涛の9連勝を飾ります。
その年の戦績は、20戦中12勝。圧倒的な速さで年間王者の栄光を手にしました。
その速さに目を付けた、F1ウィリアムズチームの創設者「フランク・ウィリアムズ」がセナをF1カーに乗せると、軽く走っただけで当時のコースレコードを記録。
そのままセナはわずか1年でF3を卒業し、F1の世界で走り始めます。
F1・トールマン時代のアイルトン・セナ
(c)Getty Images
1984年、24歳の時、様々なチームから入籍のオファーを受けていたセナは、その中でも強豪だった「ブラハム」入りが期待されました。が、当時のブラハムでトップドライバーを務めていたネルソン・ピケが反対したため実現せず。
結果、セナのF1デビューは「トールマン」からとなりました。
当時のトールマンのマシンはお世辞にも速い訳ではありませんでしたが、セナはモナコGPでマクラーレン・ポルシェに乗るプロストを追い詰める激走を見せました。
F1・ロータス時代のアイルトン・セナ
(c)Getty Images
1985年から1987年までの間、セナは名門「ロータス」に在籍し走りました。
このチームでは、2戦目のポルトガル戦で優勝を獲得します。
激しい雨の中という劣悪なコンディションの中、3位以下を全て周回遅れにし「レイン・マスター」の称号を得たのが、この大会です。
速さを見せつける一方、ダーティな走りが問題視される面もあり、他のレーサーに謝罪する場面も見受けられました。
1986年には、チームのエースドライバーとなり、1987年には前年から希望していたホンダのエンジンを獲得します。
さらに、その年に開催された日本GPでは、2位でフィニュッシュを果たし、ホンダのエンジンに母国日本で初の表彰台を飾る栄誉をもたらしました。
F1・マクラーレン時代のアイルトン・セナ
翌年の1988年、セナはマクラーレンに移籍します。
因縁のライバルであるアラン・プロストとコンビを組む事になるのです。
また、セナの移籍に伴い、マクラーレンでもホンダのエンジンを使う事になります。
2人の天才ドライバー「アイルトン・セナ」と「アラン・プロスト」、そしてホンダのエンジンが多くの勝利をマクラーレンにもたらしました。
その後、成績とは裏腹に2人の間に広がる溝はレースの度に広がっていきます。
とうとう、プロストはフェラーリに移籍。そのプロストを抑え、セナは2年連続でチャンピオンの栄光を手にします。
1991年、セナが31歳の時。
念願であった自身の母国ブラジルで初優勝を果たし、号泣する姿がファンの心を震えさせました。
F1・ウィリアムズ時代のアイルトン・セナ
(c)Getty Images
1994年、長く籍を置いていたマクラーレンを離れウィリアウムズに移籍します。
ウィリアムズでの活躍を誰もが期待しましたが、F1界全体に広がっていたハイテク化の波に吞まれ、セナは期待通りの成績を残せない日々が続きます。
それまでウィリアムズが武器としていた技術がルールの変更により禁止され、新しく完成したマシンは非常に繊細なものになっていたのです。
セナは「パフォーマンスは最悪で乗りこなせない」と漏らしていたそうです。
このためか、セナは開幕から2戦続けてリタイア。これはデビュー以来、初のことでした。
1994年 悲劇の事故
そして1994年に開催されたF1世界選手権第3戦の「サンマリノGP」。
当時を知る人は「まるで呪われていたようだった」と話します。
予選からアクシンデントが立て続けに起こり、沈痛な雰囲気に包まれていました。
セナと同郷の後輩 ルーベンス・バリチェロはマシンが宙に舞うほどの大クラッシュをして病院に運び込まれることとなり、その翌日にはローランド・ラッツェンバーガーが事故で亡くなります。
レース開催中の死亡事故は、1982年のカナダGP以来でした。
そして、5月1日。
この日は、予選で起きた事故の影響で路面には事故車両の破片が散在しており、コンディションとしても最悪の状態。
予選までの悲惨な事故、最悪の路面コンディションにセナも「走りたくない」と漏らしたそうです。
しかし、「走る事が僕の仕事だから、走らなくてはならない」と自分に言い聞かせるかのようにマシンに向かいます。
当時、頭角を現していたミハエル・シューマッハが前戦で優勝をしていた事にも触発されていたのかもしれません。
ついに、運命のレースがスタートしてしまいます。
しかし、スタートの直後にエンストしたマシンに後続車が突っ込み大クラッシュ。破片が観客席まで飛散し数名の観客が負傷しました。
サーキット全体が騒然した空気の中、再開されるレースでとうとう悲劇が起こります。
スタートから快調に先頭を走るセナ。当時25歳のミハエル・シューマッハが後を追います。
なんとかシューマッハを引き離そうとするセナと、必死でセナに食らいつくシューマッハ。
レースが7周目に入った時です。
シューマッハを抑えたままセナが時速300km以上でコーナーのタンブレロを抜けようとします。
しかし、セナはコーナーの入り口で急にコントロールを失いコースアウト。その勢いのままセナはマシンと共にコンクリートの壁に激突してしまいます。
破片を撒き散らしながら停止したマシンからセナが自力で降りてくる事はありませんでした。
救急ヘリがコースに着陸し、救命措置が行われ病院に搬送されましたが、搬送先の病院で脳死状態になり、レーススタートから4時間後、とうとうセナは帰らぬ人となりました。
決定的な死因は、大破したマシンの部品がヘルメットを貫通して、セナの頭を直撃した結果とされています。
アイルトン・セナ 34歳。
レースに生涯を捧げた天才レーサーの早すぎる死に世界中のファンが落涙しました。
この時、共に走ったミハエル・シューマッハも既にレースの世界にはおりません。
現在のF1シーンにセナと共に走ったレーサーはもう残っていないのです。
それどころか、セナが亡くなった後に生まれたレーサーが、既にF1の世界で活躍しています。
時代が移り変わっても、セナが残したレースの軌跡は、これからも伝説として残り続けることでしょう。
セナの残した名言集
セナは完全な勝利主義者でした。
『 2位になるという事は、敗者の中で1位になるという事。つまり敗者だ 』
『 勝つ事が最も重要である。全てが勝利に通じている 』
『 僕は2位や3位になるように作られていない。勝つように作られているんだ 』
セナの残した言葉からは、しつこい程に絶対的な勝利へのこだわりを感じます。
そして、セナは天才と言われていますが、決して天賦の才だけで勝ち続けたわけではありません。
彼は天才であると同時に努力家でもあったのです。
そんな彼のストイックさを表す名言がこちらです。
『 自分自身の身体と精神の限界を知り、さらに先に進む。それが僕の生き方だ 』
『 生きるなら、完璧で強烈に生きていきたい。僕はそういう性格だから。中途半端に生きていたら、人生は台無しになってしまう 』
『 ある日、人は自分の限界を感じる。限界に向かって突き進み、限界にたどり着く。すると、その時、自分の中で何かが起こり限界の先に行けることがある 』
セナは常に自分の限界を求め、その先に進もうとしていました。
そのストイックさはレースに対してだけでなく、人生に対しても現れています。
『健康と命は神が僕たちに与えてくれた非常に重要な贈り物だと、僕たちは理解している。僕たちは、この重要な贈り物を大切に守らなければいけない』
『その日は必ずやってくる。それは50年後かもしれないし、今日かもしれない。確実なのは、その日が必ず来るという事だ』
命に対して、有限性を感じ、浪費する事なく常に前に進もうとする意識を感じられます。
そして、こんな言葉まで残しています。
『 もし自分が死んでしまうなら、カーブの途中に全力で連れて行って欲しい 』
この言葉通りになってしまうとは誰も予想していませんでした。
セナの残したどの言葉からも、彼のレースに対する、そして人生に対する、積極性を感じます。
最後に
34歳の若さでこの世を去った、伝説のF1レーサー アイルトン・セナ。
彼が亡くなった1994年から、四半世紀が経とうとしてもなお、彼を愛し敬愛する人は絶えません。
情熱的に生涯を駆け抜けた彼の生き様から学ばされる事は、現代を生きる我々にこそ必要な事かもしれません。