クーペって、どんなクルマ?
クーペって何?
クルマには、様々なボディのカタチがあります。そのなかで、クーペは最も華やかなボディタイプの一つと言えます。
クーペは、主に2ドアで、よりスタイリングを重視したデザインが施される事が多いのが特徴です。
最近では、クーペの概念は様々に解釈され、4ドアのクーペやSUVのクーペも登場し、クルマのなかでも最も熱いジャンルの一つになっています。
美しいクーペ5選!
■ブガッティ・タイプ57SCクーペ・アトランティーク|史上、最も美しいクーペ!
ブガッティ・タイプ57SCクーペ・アトランティーク
ブガッティ・タイプ57SCクーペ・アトランティークは、世界で最も美しいと称賛されるクーペ。1936年から1938年にかけて、わずか4台が生産されました。
ブガッティ・タイプ57SCクーペ・アトランティーク
ブガッティは、1909年にエットーレ・ブガッティが設立した自動車会社で、高性能なレーシングカーの制作や、超高級車の販売で知られています。
ブガッティの特徴は、芸術家一家に生まれたエットーレがこだわり抜いたデザインにあります。ブガッティのクルマは、美しい内外装だけでなく、エンジンやサスペンションといったメカニズムも、徹底的に美しくデザインされていました。
ブガッティ・タイプ57SCクーペ・アトランティーク
アール・デコ運動の絶頂期に、エットーレの息子のジャン・ブガッティがデザインしたクーペ・アトランティークは、低く構えた流麗なクーペラインを持ち、スポーツカーとラグジュアリーカーの完璧な融合と言えるデザインとなっています。
ブガッティは美しいだけでなく、当時のクルマの水準を超越する超高性能車でもありました。クーペ・アトランティークに搭載された3.3L 直列8気筒ガソリンエンジンは、200psを発揮。最高速度は200km/hを超えると言われます。
ブガッティ・タイプ57SCクーペ・アトランティーク(ラルフ・ローレン氏所有モデル)
4台生産されたクーペ・アトランティークは、現在、3台のみが現存しています。そのうちの1台、「ポープ・アトランティーク」は、ファッション・デザイナーで、クラシックカー・マニアとしても有名な、ラルフ・ローレン氏が保有しています。
行方不明になった1台は、世界中のクラシックカー・コレクターが必死にその行方を探していますが、未だに見つかっていません。見つかった場合、その価値は1億ユーロ(127億円!)を超えると言われています。
■マセラティ A6GCS/53 ベルリネッタ|究極に美しいレーシング・クーペ
マセラティ A6GCS/53 ベルリネッタ
マセラティ A6GCS/53 ベルリネッタは、究極に美しいレーシングカーとして余りにも有名です。
マセラティ A6GCS/53 ベルリネッタ
戦前から続くイタリアの名門マセラティは、1954年にベルリネッタ・ボディをもつレーシングカーを発表しました。それが、A6GCS/53 ベルリネッタです。
ベルリネッタとは、イタリア語でクーペを指します。
マセラティ A6GCS/53 ベルリネッタ
A6GCS/53は、先にスパイダー・ボディ(屋根のないオープン・ボディ)が製作され、高性能なレーシングカーとして市販されました。
2L 直列6気筒DOHCユニットは、170psを発揮し、スパイダー・ボディで235km/hの最高速度を記録したと言われます。
究極に美しいこのベルリネッタ・ボディは、A6GCS/53のボディ・バリエーションとして製作されました。
マセラティ A6GCS/53 ベルリネッタ
デザインとボディの制作を手掛けたのは、イタリアを代表するカロッツェリア、ピニンファリーナ。
大きく楕円形に空いたフロントグリルには、三叉の銛「トライデント」が配され、このベルリネッタが紛うこと無いマセラティ一族である事を示しています。
また、車高を最低限まで抑えた、低く構えるクーペ・ボディは、ピニンファリーナらしい完璧なプロポーションを誇ります。
A6CS/53のベルリネッタ・ボディの生産台数は、わずか4台のみ。
2017年には、モントレー・カー・ウィークで開催された、ザ・ペニンシュラ クラシックス ベスト オブ ザ ベスト アワードにて、2017年の世界最高のクラシックレースカーに選出されました。
■トヨタ・2000GT|美しき、ニッポンのクーペ!
トヨタ・2000GT
1967年、まだ、カクカクとしたカタチのセダンばかりだった国産車の世界に突如登場した、超絶美しいクーペ。それが、トヨタ・2000GTでした。
トヨタ・2000GTは、1960年代に開催れていた自動車レース、「日本グランプリ」のGTカークラスに出場するためのベース車両として、開発がスタートしました。
当時、日本グランプリを始めとする自動車レースは、今の日本では考えられないぐらいの絶大な人気があり、レースで速いクルマは、性能のいい車である、という消費者へのアピールに絶好の場でもありました。
レースでの成績に優劣が、そのクルマの販売成績に露骨に影響を及ぼす事もあり、各メーカーは、メーカー直系の「ワークスチーム」を組織し、激しい技術開発競争を繰り広げていました。
トヨタは、強敵であるプリンス・スカイラインや、ポルシェなどの外国勢に対抗するために、世界トップレベルのスポーツカーを開発する事とし、2000GTのプロジェクトが開始されたのです。
トヨタ・2000GT
そのため、2000GTには、その美しいクーペスタイルだけでなく、当時の国産車の技術水準から隔絶した超高級なメカニズムが搭載されました。
2000GTには、2L 直列6気筒DOHCエンジン、4輪ダブルウィッシュボーンサスペンション、4輪ディスクブレーキ、ラジアルタイヤ、マグネシウムホイール、リトラクタブルヘッドランプ等々、当時のヨーロッパの高級スポーツカーにも負けない、最新のメカニズムが搭載され、日本で最も先進的なクルマでもありました。
トヨタ・2000GT
そのような最新のメカニズムを惜しげもなく採用した結果、2000GTは、発売当時の大卒初任給が約3万円という時代に、新車価格が238万円もする超高価なクルマになり、日本車初のスーパーカーと言っていい存在になりました。
流麗なクーペのスタイリングは、トヨタ社内のデザインスタジオで行われました。2000GTのスタイリングは、当時、高級スポーツカーの代名詞であった、ジャガー Eクラスの影響が感じられる、典型的なロングノーズ・ショートデッキの美しいクーペボディとなりました。
また、高性能な6気筒DOHCエンジンは、ヤマハ発動機との共同開発で、150psを発揮。最高速は220km/hとアナウンスされ、当然、当時の日本車の水準を超越した、最速の国産車でした。
トヨタ・2000GT
2000GTは、1967年から1970年までに337台が生産されたと言われています。生産台数はごくわずかですが、その存在感は、日本車の歴史の中でも随一と言えます。
このような美しいクーペが、日本人の手によって生み出された事実は、我々、日本のクルマ好きにとって、とても誇らしい事ですね!
■いすゞ・117クーペ|天才!ジウジアーロ デザインの傑作クーペ
いすゞ・117クーペ
1960年代後半、日本車は「移動のニーズを満たすだけのクルマ」から、「オーナーの所有欲を満たすクルマ」への脱皮を懸命に模索していました。
そのため、実用一辺倒のセダンではなく、様々なスポーティークーペやコンバーチブルが国内メーカーより発売され、日本車のバリエーションは一気に拡大し、華やかになっていきました。
そんな時代の華やかさを代表するクルマが、いすゞ・117クーペです。
いすゞ・117クーペ
いすゞは、現在はトラック専業メーカーになっていますが、117クーペ発売当時は、乗用車も生産する総合自動車メーカーでした。
いすゞは、高性能なスポーツクーペを新たに開発するにあたり、クーペとして最も重要なスタイリングを、イタリアのカロッツェリア・ギアに委託しました。そして、当時のカロッツェリア・ギアには、まだ20歳代の天才デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロが在籍していました。
ジョルジェット・ジウジアーロは、後に自らのデザインスタジオ、イタルデザインを立ち上げ、初代VW・ゴルフや、初代フィアット・パンダなどの傑作車のデザインを担当した、天才的なデザイナー。
その才能は、自動車だけに留まらず、ニコンの一眼レフカメラ、FシリーズやDシリーズのデザインから、果ては、パスタメーカーのパスタのデザインも手掛けるなど、多才なインダストリアル・デザイナーとして、素晴らしいデザインを数多く生み出していきました。
そのジウジアーロの20歳代の傑作デザインと言われるのが、いすゞ・117クーペです。
いすゞ・117クーペのカタログ(当時)
優雅に流れるSの字のベルトラインに、グラスエリアを広く配した開放的なクーペデザインは、1960年代の典型的なイタリアンデザインであり、当時の国産車の水準を超越する美しさを誇っていました。
しかし、その美しいデザインゆえ、当時の国産車の生産技術では量産するのが極めて困難なクルマでもありました。優雅な曲線を描くサイドパネルは、当時のプレス機では打ち出す事が出来ず、また、極めて細いピラーの量産も技術的なハードルが高く、初期型モデルは手作りの工程が非常に多いクルマでした。
それでも、当時のいすゞは、ジウジアーロの美しいデザインを忠実に市販化すべく、懸命の努力を続けました。今でこそ世界最先端のクルマを作る日本の自動車メーカーは、この頃、まだまだ発展途上の段階だったのです。
ハンドメイドな初期型117クーペは、その生産性の悪さ故に、販売価格が非常に高価な、プレミアムなスポーツクーペとなりました。
いすゞ・117クーペ
117クーペは、1968年の発売以降、2回の大きな改良を受けつつ、美しいデザインはそのままに、1981年までの13年間にわたって、約8.5万台が生産されました。
117クーペの生産終了から40年が経ちますが、未だに多くの個体が、日本全国の愛好家の間で保管・維持され、日本のクラシックカー・イベントには欠かせない存在となっています。時代を超越するジウジアーロのデザインは、今でも、私達をハッとさせる美しさを保っています。
■フェラーリ・ローマ|甘い生活を約束する、美しきクーペ
フェラーリ・ローマ
クーペは、いつの時代も美しいクルマの象徴であり、それに乗るドライバーの華やかなライフスタイルを人々に思い起こさせるアイコンでもありました。
フェラーリの新しいクーペ、「ローマ」のコンセプトは、「la nuova dolce vita」。日本語に訳すと、「新しい、甘い生活」という意味にでもなりますでしょうか。
大切な人と過ごす、甘く、幸せな時間のパートナーとして、フェラーリ・ローマは最適のクルマだと、フェラーリは主張します。
フェラーリ・ローマ
ローマのスタイリングは、フェラーリ・スタイリング・センターによってデザインされました。長大なノーズの後端に、低くまとめられたキャビンは、古典的なクーペとしての優雅さを醸し出しています。
一方、リアフェンダーは有機的な曲線を描きながら大きく膨らんでおり、スポーツクーペとしての力強さをローマに与えています。
フェラーリ・ローマ
フェラーリが、甘い二人のためのクーペだと主張する通り、ローマは極めてエレガントなフェラーリであるにも関わらず、最も実用的なフェラーリでもあります。
フェラーリはローマを4シーターのクーペとは呼ばず、「2+(プラス)」だと言っています。キャビンには、一応、4つのシートが設えてありますが、後席はあくまでエマージェンシーなもの。どちらかと言うと、荷物を置く場所として重宝するでしょう。
また、リアには独立したトランクも用意されており、バンパーに食い込むように開閉するトランクリッドは、重い荷物の出し入れの歳に非常にありがたく、実用的な容量もしっかり確保されています。
フェラーリが言うように、二人での旅行であれば、かなりの長旅の荷物を詰め込む事は出来そうです。
フェラーリ・ローマ
そのような高い実用性を備えながら、ローマには猛烈なパフォーマンスも与えられています。
3855ccのV型8気筒ツインターボエンジンはフロントミッドシップ搭載され、最大出力620ps/最大トルク77.5kgmを発生させます。0-100km/h加速は3.4秒、最高速度320km/hと発表されており、この世に存在する大抵のクルマを置き去りに出来ます。
フェラーリ・ローマ
フェラーリ・ローマは、それに乗る人の華やかなライフスタイルを世の人に知らしめる、極めてクーペらしいクーペだと言えるでしょう。
まとめ
華やかなクーペの世界、いかがでしたか? SUV全盛の時代に、あえてクーペを乗りこなす事で、あなたのライフスタイルを表現できるかもしれません。美しいクーペを、あなたの生活に取り入れてみませんか?きっと、新しい発見があるはずです!